フォーラム一覧 › フォーラム一覧 › ◆クリエイティブ研究科 › 2018年クリエイティブ3月 › ★最終資料 3月「ドビュッシー没後100年 音の画家と言われた天才作曲家はゲスの極み?
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2018年3月23日 6:10 am #1812
森村先生 マキコさん お世話になっております。
今月25日が、作曲家ドビュッシーの没後100年ということで、Movie作成をと考えて準備していたのですが、PC故障や100年記念イベントのお手伝いなどが続き、間に合いませんでした。
こちら完成し次第、曲紹介として投稿しようと思っていますが、その前にドビュッシーのスキャンダラスな人生をまとめてみました。
一応本文は、命日に書いたことにしておきましたが、直前ということもありますので、こちらは最終投稿で変更いたします。
画像は迷ったのですが、近代音楽と絵画のつながりということで、昨年パリのオランジェリー美術館で撮った写真を並べてみました。
タイトル
ドビュッシー没後100年 音の画家と言われた天才作曲家はゲスの極み?
今日はドビュッシー100回目の命日です。
ドビュッシー没後100年 女性の大敵?ドビュッシーの人生と音楽
扉
TOP画像
100年前の今日、1918年3月25日はフランスの作曲家ドビュッシー命日です。
みなさんは、ドビュッシーと聞いて何を思い浮かべますか?
たくさんの映画やCDにも起用され続けている「月の光」や「夢」の清らかなメロディ?
「水の反映」からイメージされる印象派の画家モネの「睡蓮」?
ほとんどの女性が色で例えるとパステルカラーなイメージをお持ちかと思います。
ところが、古い束縛から解することを試み、新しい音楽の価値観を生み出した天才音楽家は、
二重人格者でジキルとハイドのようだったと友人は回想しています。
クラシック界史上トップクラスの浮気男でもあったことも、中学の教科書には載っていません。
写真1
「印象主義の作曲者」と言われることをとても嫌っていたドビュッシー。
私たちが彼の人生の暗い色調の部分を知ることも理解してくれるはず?
本日はドビュッシーと関わる女性たちとのエピソードのほんの一部をご紹介します。
写真2
学生の頃、年上の人妻ヴァ二エ夫人という年上の歌姫と不倫しながら、彼の才能に惚れ込んだパトロンのフォン・メック夫人の13歳の娘に手を出し解雇されるというところからスタートです。
「亜麻色の髪の乙女」はヴァニエ夫人という年上の歌姫にも捧げたそう。
この曲のモデルは、初めて同棲したガビュリエル・デュポンという説もあります。
彼の才能を見抜き、様々な内職をして長い間支えたそうですが、浮気によりがガビーは拳銃自殺未遂。
「亜麻色の髪の乙女」、「ゲスの極み乙女」(少し古い。。)と見えてしまいます(^^;
その後、「ノクターン」を献呈したリリーテクシエと結婚しますが、またしても
資産家の娘エンマ・バルダックと不倫し、テクシエも拳銃自殺未遂。
このエンマとは駆け落ちし、その旅の喜びを歌ったのが、「喜びの島」だそうです。
ところで、ルノアールのこの作品、ほとんどの方がご覧になったことあるのでは?
写真3
2012年に石橋財団ブリジストン美術館で「ドビュッシー、音楽と美術ー印象派と象徴派のあいだで」をこの絵を観覧した時に紹介されていたエピソードが心に残っているのでご紹介します。
ドビュッシーは友人の画家「アンリ・ルロール」の主宰するサロンに誘われ、ルノアールの他にも
画家のモネ、ゴーギャン、ルドンや音楽家ショーソンなどと出逢います。
ルノアールのこの作品のモデルは、アンリ・ルロールの夫人や娘たちです。
(「ピアノを弾くドビュッシーとジャンヌ・ショーソン、ルロール家とショーソン家とともに リュザンシー」ドビュッシー音楽と美術ー印象派と象徴派のあいだで 便覧より)
ドビュッシーの女性スキャンダルが明るみになり、社交界の人々が彼の元を去ったそうですが、このアンリ・ルロールの家族だけが、温かく親交を続けたのだそうです。
ドビュッシーは、ルロールの娘イヴォンヌに「ピアノのための3曲からなる『(忘れられた)映像』」を捧げています。
この作品展では、ルロール家族の写真も展示されていました。
(エドガー・ドガ「鏡のそばのアンリ・ルロールと二人の娘、クリスティーヌとイヴォンヌ」写真複製
「ドビュッシー音楽と美術ー印象派と象徴のあいだで」便覧より)
昨年秋、パリのオランジェリー美術館で再びこの絵に出逢えた時は感激しました。
本日、この記事に添えたモネの睡蓮たちの写真たちや美術館をとりまく風景の写真も、その時撮影したものです。
さてその後、エンマと再婚し、愛娘エマを授かってようやく落ち着いたドビュッシーは、
愛称シュシュが3歳の時に「子供の領分」を捧げます。
再びこれらの作品を聴く機会があった時、あなたが心に描く色は変わっているでしょうか?
青柳いづみこさんの著書「ドビュッシーとの散歩」は、40曲もの作品のエピソード満載でお勧めです。
また、現在「三菱第一号美術館」では、サロン時代の友人画家ルドンの作品展が開催されていて、
そこでもドビュッシーの音楽を聴きながら、2・5メートルもの名画グランブーケに包まれる体験もできます。
メモリアルイヤーの今年2018年は、様々なコンサートなども企画されることでしょう。
絵画から音楽から、様々な色のドビュッシーを感じてみてください。
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2018年3月26日 12:36 pm #1862
馬場さま
こちらfbでご連絡失礼しました ^^
写真もOKですので、タイトルに★最終資料をお願いします。
写真撮影のところ、もしブログにもあれば
リンク飛ばししたりしてくださいね~^^
次回も楽しみにしております。
森村
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2018年3月27日 2:25 am #1927
森村先生
Fbでのご連絡ありがとうございました♪
命日前日イベントのレポ、美術館撮影のことをブログに加え、
本文も変えて最終投稿いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
馬場
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2018年3月27日 11:56 am #1932
馬場さま
ハイ!お待ちしております^^
森村
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2018年3月29日 6:32 am #1982
馬場様
最終資料、私からもリクエストいいでしょうか??
記事を読んだら、ドビュッシーの顔が見たくなりました^^
(勝手に本家ゲスの極み川谷氏のような細身の人を想像していたら、ワイルド系のイケメンさんなんですね)今、ピアノを弾いている斜め後ろの写真だけですが、冒頭のドビュッシーの説明をしている文章の所に、顔がわかる写真を追加することは可能でしょうか??
加藤
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2018年3月31日 4:29 am #2039
マキコ様
こちらにもメッセージいただいていたようで気が付かずにすみません。
ドビュッシーの肖像画、若い頃のものを載せます。
それから扉の写真をモネの睡蓮にしていたのですが、
本文から考えるとルノアールのピアノを弾く少女の絵が良いかと思ったので
以前、ブログに載せたこの写真と差し替えて最終資料とさせていただきます。
他の資料の写真ももっと鮮明になるよう撮り直しました。
最近、色々命日イベントに参加して感じたのですが
ドビュッシーを啓蒙している一部の音楽家や研究者たちは、印象派のモネとドビュッシーが
対のイメージをもたれることを思っていた以上に嫌っているようです。
最終資料掲載時に変更することになって申し訳ないのですが、
TOP画はドビュッシーにゆかりのあるモンマルトルの夕暮れ時の写真にして、
睡蓮の作品は、オランジェリー美術館の写真の一部として載せようと思います。
また、森村先生からお話のあった撮影OKのことは、今夜中にBLOGに書きます。
掲載予定もあられると思うので、リンクを貼って最終資料アップさせていただきますね。
何か変更したほうが良いことがありましたら、どうぞご連絡ください。
馬場
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2018年3月31日 5:46 am #2040
マキコさん いつもお世話になっております。
こちらが、最終資料になります。
扉写真の件、3枚アップしましたのでどうぞよろしくお願いいたします。
また、本文も一部書きかえました。
タイトル
ドビュッシー没後100年 音の画家と言われた天才作曲家はゲスの極み?
ドビュッシー没後100年 女性の大敵?ドビュッシーの人生と音楽
扉
TOP画像
TOP画像 予備1
予備2
予備3
PianoSalonOTOHA主宰&フォトスタイリスト OTOHAです。
100年前の1918年3月25日はフランスの作曲家ドビュッシー命日でした。
みなさんは、ドビュッシーと聞いて何を思い浮かべますか?
たくさんの映画やCDにも起用され続けている「月の光」や「夢」の清らかなメロディ?
印象派と言われていたことから印象派画家のモネの「睡蓮」?
写真1
明るいふわっとしたパステルカラーのイメージをお持ちの方が多いのではないでしょうか。
ところが、古い束縛から解することを試み、新しい音楽の価値観を生み出した天才音楽家は、二重人格者でジキルとハイドのようだったと友人は回想しています。
そして、この両面を知ることでよりドビュッシーの真実の部分を理解できると思います。
写真2
「クロードドビュッシーの肖像 ~マルセル・バシェ~」
(『ドビュッシー 音楽と美術―印象派と象徴派のあいだで』便覧より)
「印象主義の作曲者」といわれることをとても嫌っていたドビュッシー。
クラシック界史上トップクラスの浮気男でもありました。
本日はドビュッシーと関わる女性たちとのエピソードのほんの一部をご紹介しながら、
彼の人生の暗い色調の部分を垣間見ていただきたいと思います。
写真3
さて、学生の頃、年上の人妻ヴァ二エ夫人という年上の歌姫と不倫しながら、彼の才能に惚れ込んだパトロンのフォン・メック夫人の13歳の娘に手を出し解雇されるというところからスタートです。
「亜麻色の髪の乙女」はヴァニエ夫人という年上の歌姫に捧げたと言われていますが、
初めて同棲したガビュリエル・デュポンがこの曲のモデルだったという説もあります。
彼の才能を見抜き、様々な内職をして長い間支えたそうですが、浮気によりがガビーは拳銃自殺未遂。
「亜麻色の髪の乙女」、「ゲスの極み乙女」(少し古い。。)と見えてしまいます(^^;
写真4
その後、「ノクターン」を献呈したリリーテクシエと結婚しますが、またしても
資産家の娘エンマ・バルダックと不倫し、テクシエもまたしても拳銃自殺未遂。
このエンマとは駆け落ちし、その旅の喜びを歌ったのが、人気ドラマ「のだめカンタービレ」でも
演奏された「喜びの島」だそうです。
ところで、ルノアールのこの作品、ほとんどの方がご覧になったことあるのでは?
写真5
2012年に石橋財団ブリジストン美術館で「ドビュッシー、音楽と美術ー印象派と象徴派のあいだで」をこの絵を観覧した時に紹介されていたエピソードが心に残っているのでご紹介します。
ドビュッシーは友人の画家「アンリ・ルロール」の主宰するサロンに誘われ、ルノアールの他にも
画家のモネ、ゴーギャン、ルドンや音楽家ショーソンなどと出逢います。
ルノアールのこの作品のモデルは、アンリ・ルロールの夫人や娘たちです。
写真6
(「ピアノを弾くドビュッシーとジャンヌ・ショーソン、ルロール家とショーソン家とともに リュザンシー」ドビュッシー音楽と美術ー印象派と象徴派のあいだで 便覧より)
ドビュッシーの女性スキャンダルが明るみになり、社交界の人々が彼の元を去ったそうですが、このアンリ・ルロールの家族だけが、温かく親交を続けたのだそうです。
ドビュッシーは、ルロールの娘イヴォンヌに「ピアノのための3曲からなる『(忘れられた)映像』」を捧げています。
この作品展では、ルロール家族の写真も展示されていました。
写真7
(エドガー・ドガ「鏡のそばのアンリ・ルロールと二人の娘、クリスティーヌとイヴォンヌ」写真複製
「ドビュッシー音楽と美術ー印象派と象徴のあいだで」便覧より)
昨年秋、パリのオランジェリー美術館で再びこの絵に出逢えた時は感激しました。
写真8
写真9
(ピアノに向かうイヴォンヌとクリスティーヌ・ロレール ~ルノアール)
写真10
「ピアノに寄る少女たち ~ルノアール」
本日、この記事に添えたモネの睡蓮たちの写真たちや美術館をとりまく風景の写真も、その時撮影したものです。
モネの睡蓮もまた、明るいふわっとした色調のものばかりではないのです。
(→★オルセーとオランジェリー美術館撮影OKに一役買ったある女性の話★)
この絵と似ていて、よく比べられるもう一枚のオルセー美術館所蔵の
「ピアノに寄る少女たち」は、以前ルノアール展で会いました。
写真11
(→★ドビュッシーは印象派ではない?前奏曲よりヒースの荒野★)
さて、その後エンマと再婚し、愛娘エマを授かってようやく落ち着いたドビュッシーは、
愛称シュシュが3歳の時に「子供の領分」を捧げます。
ピアニストでエッセイストの青柳いづみこさん主催 ドビュッシー命日前日コンサートでは、
父を亡くした直後のシュシュの手紙と共に晩年作曲された「雪の上の足跡」が演奏されました。
(青柳いづみこさん関連記事→★★★)か
現在だったらパパラッチに追いかけ回されそうな人生ですよね。
再びこれらの作品を聴く機会があった時、あなたが心に描く色はどんな色でしょう?
メモリアルイヤーの今年2018年、さまざまな追悼イベントが企画されています。
どうぞ絵画から音楽から、あなたの中にあるドビュッシーの色を感じてみてください。
写真12
写真・文 OTOHA
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